ひとりごと
万年中二病なので、死ぬときは自殺がいいと思っています。
痛いのに耐えられる自信はないのだけれど、自殺をした後に、友達が
「なつまちって自殺したらしいよ」
と話すのを想像すると楽しくて仕方ありません。
日頃の私の発言を知っている友達なら「本当にやった」「ついにやったか」くらいの会話になるのでしょうか。
きっと私が死んだら悲しんでくれる人はそこそこいるんだろうと思います。
ネガティブなので愛されない友達がいないなんて口にすることも多いですが、変なところで現実主義気味な面もあったりするので、ひとりぼっちじゃないという自覚は持っているつもりです。
けれども周りに人がいるから私は愛されているんだ、1人じゃないんだと思うこともできず。
周りに恵まれて育っているはずなのにずっとひとりぼっちの気持ちでいっぱいなのは一体何が原因なのでしょうか。
考えてはわからなくて放棄するような毎日ですが、多分これの答えが出るのは本当に死ぬ時なのではないかと思います。
何となくですけどね。
死ぬのは自殺がいいという話をしましたが、その他のシチュエーションにもこだわりがあります。
夏に、出来るだけ海辺で死ぬことです。
いつから好きだったのかもう覚えてすらいないのですが、気付いた時には夏そのものが私の基盤になっていました。
何がどう好きなのかと聞かれると言語化するのはとても難しくて…。
オタクは大体夏が好きという偏見がありますが、まあ、そのうちの1つだろうと思います。
海辺は海が好きだから、それだけです。
ただ海が好きなだけなので、海が見えるワンルームの室内でも構わないと思っています。
大家さんがかわいそうなのでやっぱり外で死んだほうがいいかな。
また夏といっても元気で明るい青春夏休みというものではなくて、茹だる暑さの中電車に乗った2人が二度と帰ってこなくなるような、そんな夏が好きです。
そっと、日常の中から消えるのが好きなのでしょうか。
私はそうやって静かに消えて、ふと思い出した友達が私に連絡を取ろうと思ったらもう死んでいて驚いた、なんて なくなりかたをしたいです。
中二病が抜けきらない、夢妄想でしかないと思います。
いざこうしてしっかり文にすると普通に恥ずかしいですしね。
自分の思考を晒すのが好きで、でもいざ読んでくれと人に見せるのも恥ずかしい。
同じ話を何度も繰り返すのももはや十八番芸になってきました。
ちょうど社会人日記のために始めたブログもあることだし、ちょこちょここうやって価値観の吐露をしていけたらと思います。
日記よりも「読ますための文章」で書いていますが、見つけた人だけ読んでくれたらいいなという気持ちです。
ここまでありがとう。
またね。